久方の光のどけき春の日に

目指せ人生の伏線回収

「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」、そして「個人的なことは政治的なこと」

実は数年前にブログを作ろうとして挫折したので今回は頑張りたい。こんにちはこんばんはおはようございます、白河いつきです。

ブログを開設して1記事書いたものの、筋としてはブログを開設した経緯を書いておくべきなんだろうなと思ったので書きます。というかこの話をするためにこのブログを作ったと言っても過言ではない。

 

直接の切っ掛けではないものの、背中を後押しされたと言えるのは先月読んだ「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」です。

彼女が好きなものはホモであって僕ではない

彼女が好きなものはホモであって僕ではない

 

タイトルからインパクトがすごい*1ですが、中身は青春小説と言って良いものだと思いました(特に青春小説が好きという訳ではないので青春小説がどういうものか分からない)。セクシュアリティがどうとか腐女子だからどうとか関係なく、人間が自分を、そして自分に関わる人間を愛せるようになるまでの物語。

主人公の心情描写がとても丁寧なので、読み手が各々そこから受けた印象と感想を大切にしてほしいです。要は私が何かを語るより本文を読んで欲しいので、カクヨムのリンクを貼っておきます。

kakuyomu.jp

自分のセクシュアリティの話

さて本題。私の話をします。

私は恐らく女性の同性愛者です。恐らく、と言ったのは別に女性と付き合ったことがないし、今のところ付き合いたいとも思わないからです。でも少なくとも異性愛者ではない、と思う。そう考えるのが自分自身への認識として一番しっくりくる。*2

これから、このブログでは私が思ったこと考えたこと経験したことの感想などを書いていこうと思います。それは、この記事にそういうセクシュアルマイノリティ/性的少数者関連のキーワードでたどり着いた人が、他の記事を読んで私のことを「なんだこいつその辺にいる人じゃん」と思って欲しいからです。自分のことを愛する、というところまではいきなり行かなくても、「自分は世間の言う普通とは違う人間なんだ」と思って嫌悪・絶望しないで欲しいからです。

だって、きっとその方が生きるのが楽だから。

 

どうも他の人は自分のセクシュアリティに気付くのが早いらしい

今可視化されている”いわゆる”LGBTの人の多くは、セクシュアリティに気付いたのが小学校~高校くらいの年齢みたいなんですよね。私は大学生になってからでした。二十代になるまで、その可能性に思い当たらず生きてこられた人間でした。自分はセクシュアリティに関してマジョリティだと思っていました。

一応それなりに多感な時期を過ごし、それを超えた先の年齢で自分のアイデンティティの一角をなす事柄と向き合うことになったのです。ある程度落ち着いていて、日々論理的思考の練習をしていて、事実と推測と感情をそれなりに区別できる年齢でした。

でもどうやら多くの人はもっと早くに気付くらしい。

私の通っていた公立中学は多分荒れている方だったと思います。連日窓ガラスが割れ、学生が喫煙をし、多分いじめがありました。*3そんな環境下で、私は中学入学を機に転校したため環境の変化について行けず、恐らく病院に行けば鬱と診断される状況でした。

自分がその頃に自分のセクシュアリティに気付いていたとして、その頃の私は大学生の私がしたようにそれと努めて冷静に向き合えたでしょうか。十中八九、答えは「いいえ」です。その頃に気付かなくて良かったとすら思う。絶対に鬱状態より酷い大変なことになっていたでしょう。

だから、今小学生~大学生で自分の「普通じゃなさ」に気づき大変な思いをしている人は、大学生の私が経験した大変さよりきっと大変度合いが高いと思うのです。そう思うからこそ私は、世間に蔓延るあらゆる規範と自分がズレていることに気付いてしんどい思いをしている人に、このブログを読んで「この人ある意味ではマイノリティらしいけど人生そんなに辛そうでもない」という感想を持って欲しい。

だからこのブログは半分私が思考を整理するためのブログであり、半分はここにたどり着いた「普通じゃない」あなたのためのブログです。

他人と同じ事をしていれば必ずしも安心できる訳ではないけれど、「普通じゃない人がそれなりにやっている」という可視化されたモデルケースがあれば気が楽になります。インターネットの大海の隅で、私があなたのモデルケースになればいいなと願いました。それを実践するためのブログです。

 

という訳で、先述の本に背中を押される形で私も何か世界に発信してみようかと思い、一度挫折したブログにチャレンジしています。だってほらLGBTって今はやりだし……。流行じゃなくて当たり前になるといいんですけどね。

正直なところ、先述の本には主人公がブログを作るシーンがあるので、この本を読んだ話をするとそれに倣ったように見えるのですが、まあそれはどっちでもいいや。動機がフィクションの模倣だとしてもいいでしょう。私のブログを書くのは私だ。

 

「個人的なことは政治的なこと」の実践としてのブログ

ここからは連想ゲームという名の感想なのですが、ここまで考えて「個人的なことは政治的なこと」という概念を大学で習ったなあということを思い出しました。フェミニズムに絡めた講義だったので、ググると出てくる文脈そのままの意味で用いられていました。当時は「政治」という語に対する印象や捉えているニュアンスが、民主主義に参加するとか、学生運動とかそういう感じだったのであまり理解できていたとは言いがたいのですが、今ここまで考えてなるほどこういうことかあ、と。ブログは個人単位で使えるメディアなので、大いに政治的です。

という訳で、「個人的なことは政治的なこと」の実践として、一度は挫折したブログなるものを書いていきたいなと思っています。心情的に、他のSNSを使うなどしてインターネットに自分の文章を投稿することについて「半年ROMれ」的な期間を修了したと言ってもいいかな、と思えるようになったのもあります。

 

 

こんな訳で、このブログをぼちぼちやっていきたいです。

別に感想やら趣味の話やらを、私の「普通じゃなさ」を明かさずに書くことだって出来るのです。それでも、インターネットという場で感想とそれを組み合わせて公開することが、誰かにとって「世界がちょっと怖くなくなる」助けになればいいなと願いつつ、この記事を締めます。

 

次回からが本編!細く長く続けていきたい!

 

*1:一般的には「ホモ」は侮蔑語のため

*2:①検索に引っかかりやすい、②他人から分かりやすいという二点で「女性の同性愛者=レズビアン」の語を使いましたが、個人的にはカテゴライズはどうでもいいです。

*3:自分のことに精一杯で周りを見る余裕がなかったので本当の所は分かりません。気付かないことでそれに加担していたらと思うと情けない気持ちになります。